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2026年4月

​大和光機工業は
創業100周年を迎えました

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病理診断や研究の現場で、標本をつくる工程は表には出にくい仕事です。
けれど、その一枚が正確であるかどうかが、その後の診断や観察、比較の土台になります。
目に見える成果の前には、いつも変わらず求められる精度があります。

大和光機が向き合い続けてきたのは、そうした現場で使われるミクロトームでした。


華やかに語られることは少なくても、正確に切れること、安定して使えること、必要なときにきちんと応えられること。
そうした当たり前を支えるために、考え、作り、直し、届け、支えるという仕事が積み重ねてきました。

その時間は、特別な理念の言葉だけで続いてきたものではありません。

拡大鏡をのぞきながら極小の針を削った創業者の手仕事、

現場で書きためられた15冊のノート、

製品を担いで全国を回った日々、

これらすべて同じ流れの中にあります。


使う人のそばで考え、使われる現場に合わせて工夫し、自分たちで責任を持って支え続けること。
その姿勢が、製品にも、仕事のしかたにも、少しずつ形になってきたのだと思います。

ここから先にあるのは、そうした積み重ねがどのように続いてきたのか、その時間をたどるための言葉です。
菊池 秀樹 会長の記憶を通して、大和光機のものづくりが何を受け継ぎ、何を変えてきたのかを見ていきます。

菊地会長と御処野社長

会長 菊池 秀樹

代表 御処野 将

職人魂と革新が紡ぐ物語

菊池 秀樹 (三代目社長)インタビューより

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極小の針に宿る「職人」の原点

私が記憶している最も古い大和光機の風景は、新宿・新大久保駅のすぐ横にあった小さな工場です。そこで働いていたのが創業社長である祖父でした。
 

祖父は紛れもない職人でした。趣味のタナゴ釣りのために、市販されていない極小の針を自ら削り出していた姿を覚えています。拡大鏡を覗き込み、納得いくまで手を入れる。その姿勢は、ミクロトームづくりにもそのまま表れていました。
 

「ただ止まっていればいいネジ」でも、その向きは一直線に揃える。
一見意味がないように見えても妥協しない。

 

これまでの大和光機は、明確な企業理念を掲げてきた会社ではありません。しかし、創業以来変わらず受け継がれてきた風土があります。

祖父はこう言っていました。

「芸術家と職人の違いがわかるか。芸術家は気に入らなければ壊す。職人は、気に入らなくても売り物になるまで直すんだ。」

 

私は、その言葉を“ものづくりの厳しさ”として受け取りました。

創業以来、今でも大和光機に受け継がれているのは、この“満足するものになるまで諦めない”という姿勢です。

海外メーカーの進出と、消えていく自社製品

100年の歩みの中で、大和光機が大きな転換点を迎えた時期がありました。それはドイツメーカーを中心とする海外製ミクロトームの進出です。
 

当時主流だった油を引いて滑らせる方式に対し、ベアリングを搭載した海外製品が登場すると、市場は急速に変わりました。

営業として全国を回っていた私は、かつて自社製品が置かれていた現場から、それが姿を消していく現実を目の当たりにしました。とても悲しく、惨めな気持ちになったことを今でも覚えています。

しかし、私たちはそこで立ち止まりませんでした。
「なぜ選ばれなくなったのか」を直視し、使用される現場を見直すことから始めました。

海外メーカーの進出と、消えていく自社製品
菊地会長と御処野社長の対談
海外メーカーの進出と、消えていく自社製品
菊地会長と御処野社長の対談

15冊のノートから生まれた「日本人のためのミクロトーム」

私はお客様を訪問するたびに、実際に製品が使われる動作を観察し、ヒアリングをして日記に記しました。その日記は、今では15冊のノートになっています。

その積み重ねから見えてきたのは、単なる性能ではなく「使いやすさ」でした。

こうしてお客様の声を徹底的に反映して生まれたのが『リトラトーム(REM-700)』です。

この製品には、会社として3つの決断がありました。

日本人の体格に最適化する設計
当時の海外製は欧米人向けのサイズで、女性が多い日本の使用現場では操作部が遠いというお客様の声がありました。

私たちは送り装置の構造を見直し、試料台を手前に引き寄せ、高さを下げる設計へと転換しました。そして15冊のノートに書かれている「お客さまのご意見」を次々と製品に反映していきました。
現場の動作に合わせて構造を変える。
それは「製品に人を合わせる」のではなく、「人に製品を合わせる」という選択でした。

完全内製化という決断
これまで未経験だった電子制御の採用にあたり、外注するという選択肢もありました。しかし私たちは「ブラックボックスをつくらない」と決めました。

当時若手だった御処野(現社長)は、秋葉原で電子工作キットを購入し、独学でプログラミングと基板設計を行いました。そして、部品を一つ一つを自分たちで加工し、自分たちで組み立てました。

3年の歳月を経て完成したREM-700は、単なる新製品ではなく、「自分たちで理解し、自分たちで作り、自分たちで責任を持てる製品」でした。

販売体制の転換
REM-700発売の少し前。私たちは総代理店制度を廃止し、直接販売体制へ移行しました。
これによって、お客様の声を直接受け取れるようになりました。

デモ機を担ぎ、自分の足で全国を回る。
使用現場に足を運び続ける営業スタイルは今も変わっていません。

その結果、当時、日本各地の病院施設で26%だったシェアは、現在80%を超えています。
しかし私たちにとって重要なのは数字ではなく、「お客様に選ばれ、使われ続けている」という事実です。

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受け継がれる「使う人への想い」

大和光機が100年を掛けて培ってきたものは、性能だけではありません。

  • 製品が故障すればすぐに駆けつける。

  • すぐに代替機を手配する。

  • 設計・製造・サポートを自社で担う。

それは「作って終わりにしない」という責任の表れです。

私はこれからの大和光機を担う全ての社員に、この姿勢を託します。
自社で設計し、自社で製造し、自社で支えるという一貫体制。
そして、使用現場を見ることをやめないという姿勢です。

かつて祖父が作った80年前のミクロトームが今なお現役で動いているように、大和光機の製品は、使う人の手に馴染み、世代を超えて愛され続けています。
それは単なる耐久性ではなく、「使われ続けてきた時間」の証です。

私たちにとって100周年は通過点です。
大和光機はこれからも、医療と研究のすぐ隣で、お客様に寄り添った製品を作り続けます。

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​大和光機100年の歴史

1910

  • 菊池利吉 清宮製作所にてワイゲルト型の滑走式ミクロトームの製造をする

1912

  • 菊池利吉 菊池製作所を創設

1915

  • 菊池利吉 風雲堂が製作工場を新設するに自己の工場施設を譲渡し工場長となりミクロトームの製造をする

  • 11年間、同社工場長として生産に尽力

1926

  • 初代社長 菊池利吉が菊池製作所を設立(東京都台東区御徒町)

  • 医科用精密光学器機類の製作に専念、国産のミクロトームの製造を目的とする。ヘリオ及びエルマへOEMを供給する風雲堂では利吉の部下の小泉が続けてミクロトームの製造にあたる

明治〜大正

1934

  • 事業拡張のため、工場を東京都北区瀧野川西ヶ原1399に新築移転する。敷地160坪、建坪92坪

1943

  • 戦時下において臨時資金調整法の許可を取得する

1944

  • 大和光機工業株式会社を設立

  • 菊池利吉 取締役社長に就任し、定款規定の事業を開始する

1945

  • 疎開命令を受ける(3月1日)

  • 戦災のため青梅市河辺840番地に疎開する(3月20日)

  • 戦災に合って瀧野川の本社、工場とも全焼(4月1日)

  • 終戦により一時休業する(8月)

1946

  • 事業再建定款に規定の医療器機製造を再開する

  • 北区瀧野川西ヶ原
    工場敷地267坪、本社事務所24坪、工作作業場56坪

1952

  • 東京都新宿区人形町1-10-8に移転する

1964

  • 取締役会に於いて、代表取締役 菊池利吉が辞任

  • 菊池種一郎 代表取締役に選任される

1965

  • 事業場が手狭となり増築の必要にせまられる床面積221,85㎡の鉄骨造りに増改築する

1984

  • さらに手狭となり、埼玉県朝霞市膝折町2-14-43に
    敷地面積678,5㎡、床面積608㎡を建設、
    同所に移転する

1989

  • ベアリング式ミクロトームが海外より輸入さはじめ、油面滑走式からの移行が始まる。

昭和~

1995

  • 代表取締役 菊池種一郎が辞任
    取締役会において菊池秀樹が代表取締役に選任される

2005

  • REM-700誕生
    2年後にREM-710になり、国内シェアを伸ばす

2013

  • RX-860誕生

平成~

2024

  • 生産性向上の為、埼玉県新座市野火止1-19-29に移転

2025

  • 代表取締役 菊池秀樹が会長に就任

  • 取締役会において代表取締役に御処野将が選任される

2026

  • 創業100年をむかえる

令和~

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