
2026年4月
大和光機工業は
創業100周年を迎えました
切ることで繋いできた「信頼」
医療と研究の基盤
医療と研究は、目的も立場も異なります。
しかし、どちらの現場も共通して私たち大和光機へ求められてきたものがあります。
それは、
「正確であること」
「同じ結果が得られること」
「その状態が、長く保たれること」
この3つです。
診断の現場では、一枚の切片が判断を左右します。
研究の現場では、その切片が結果の再現性を支えます。
どちらも、やり直しのきかない場面であり、曖昧さが入り込む余地はありません。
私たちが向き合ってきたのは、
「切る」という行為そのものではなく、
その先にある“判断”や“結論”が揺らがない状態をつくることでした。
正確に切れること。
いつ切っても、誰が使っても、条件が変わらないこと。
そして、それが10年、20年と続いていくこと。
こうした当たり前が守られているからこそ、医療現場では診断を重ね、研究の現場では成果を積み上げていくことができます。
私たちは100年にわたり、医療と研究のすぐ隣で、その「当たり前」を静かに支え続けてきました。
それぞれの現場でミクロトームを使われる皆様のニーズやご要望を聞きさらに精度を高めていく。
その繰り返しは決して派手な進歩ではないかもしれません。しかしその積み重ねこそ、弊社がお客様にとってなくてはならない存在となり、医療と研究の信頼を繋いできた貴重な時間となっております。

大和光機の100年
その背景にある「変えなかった事」「変えてきた事」
100年にわたり、私たちが変えなかったのは、
「正確な切片が求められる現場に、必ず応える」という姿勢です。
診断の精度、研究の再現性。
医療と研究の根幹に関わるからこそ、妥協しない。その判断軸は、今も昔も同じです。
そして、大和光機のスピリッツとも呼べるこの想いは、「設計」「製造」「営業」全てのスタッフに共有され、
それぞれの立場から、同じ“正確さ”を現場に届けるための判断基準として受け継がれております。
一方で、変えてきたこともあります。
医療と研究の高度化・精密化に合わせ、技術を磨き、対応領域を広げ、現場の声を設計と製造に反映し続けてきました。
変えない価値を守るために、変わり続けてきた。
その積み重ねが、「使われ続けてきた」という事実となっています。

医療と研究を支える
これから100年への想い
医療と研究は、これからさらに高度になり、精密になっていきます。
その一方で、判断や結論の土台となる確かさは、変わることなく求められ続けます。
私たちは、特別な未来を描くのではなく、正確さが当たり前であり続ける状態を、次の時代にも手渡していきたいと考えています。
変わらず守るべきものと、進化させるべきものを見極めながら、医療と研究のすぐ隣で、静かに支え続けていく。
それが、これからの100年に向けた私たちの姿勢です。

会長 菊池 秀樹
代表 御処野 将
職人魂と革新が紡ぐ物語
菊池 秀樹 (三代目社長)インタビューより
創業者 菊池 利吉の孫にあたる、菊池 秀樹 会長(3代目社長)と共に、創業者の人柄、大和光機に今も息づく風土の起源を探ります。

極小の針に宿る「職人」の原点
私が記憶している最も古い大和光機の風景は、新宿・新大久保駅のすぐ横にあった小さな工場です。そこで働いていたのが創業社長である祖父でした。
祖父は紛れもない職人でした。趣味のタナゴ釣りのために、市販されていない極小の針を自ら削り出していた姿を覚えています。拡大鏡を覗き込み、納得いくまで手を入れる。その姿勢は、ミクロトームづくりにもそのまま表れていました。
「ただ止まっていればいいネジ」でも、その向きは一直線に揃える。
一見意味がないように見えても妥協しない。
これまでの大和光機は、明確な企業理念を掲げてきた会社ではありません。しかし、創業以来変わらず受け継がれてきた風土があります。
祖父はこう言っていました。
「芸術家と職人の違いがわかるか。芸術家は気に入らなければ壊す。職人は、気に入らなくても売り物になるまで直すんだ。」
私は、その言葉を“ものづくりの厳しさ”として受け取りました。
創業以来、今でも大和光機に受け継がれているのは、この“満足するものになるまで諦めない”という姿勢です。
海外メーカーの進出と、消えていく自社製品
100年の歩みの中で、大和光機が大きな転換点を迎えた時期がありました。それはドイツメーカーを中心とする海外製ミクロトームの進出です。
当時主流だった油を引いて滑らせる方式に対し、ベアリングを搭載した海外製品が登場すると、市場は急速に変わりました。
営業として全国を回っていた私は、かつて自社製品が置かれていた現場から、それが姿を消していく現実を目の当たりにしました。とても悲しく、惨めな気持ちになったことを今でも覚えています。
しかし、私たちはそこで立ち止まりませんでした。
「なぜ選ばれなくなったのか」を直視し、使用される現場を見直すことから始めました。









